昔の記憶
おはよう?ございます!
私ごときのエベレスト単独登頂の旅も、9合目まで来ました?
良くもここまで、来れたなと思う、反面、自分の力を、過信する自分がいるんです。
吉川 栄治先生の作品『宮本 武蔵』の中で、巌流島での佐々木 小次郎との対戦に向かう。
その時の『武蔵』の気持ちなのです、小舟の中で櫓を削って木刀を作って、佐々木 小次郎の長刀に対峙したのです、
何と言う、余裕なのでしょう、こう言う精神(余裕)が、あるからこそ、日本一の剣客になったのでしょう。
それにしても、もう、何十年も前に読んだ、吉川 栄治大先生の本を、いまだに覚えている自分に、関心している。
自称(神童)なのです、
こんな分厚い本の内容も、小学校低学年でしたが、未だに内容を覚えている私は『天才』では無いかと?
そんな事は無いんです!只、謙虚さが足りないだけなんです。
『反省』
日々『反省』と、『後悔』と言う言葉を、背中に背負って生きてるのです。
ここで、9合目のルートも決まり、後は、頼みの『シェルパ』が、到着するのを、ひたすら待っているのですが、
『遅い』ちょっと遅い?のではと心配に、なってきました。が
先程の、『宮本 武蔵』ほどの、精神的余裕が無いといけないと、思い直す自称(心配症)でした。
ママ風に言うと、『来るもんは、来る』『来んもんは、来ん』ま、こんな感じでしょうか、?
とにかく、残すところ、エベレスト単独登頂の旅も、9合目と頂上を残すだけです。
良く、ここまで、来れたなと言うのが、正直な気持ちです、しかし、大事なのは、最後の締だと思います?
昔、近所のガキ仲間(年は、バラバラでした)と、遊んでいたとき、
いろんな遊びをしてました、今考えると、信じられない遊びばっかりです。
例えば、近所の畑に、穴を掘って(長さ50メートル)洞窟を、作って(その中で生活)してました。
もちろん、ろうそくの火で生活しているわけで、空気穴を開けて、ちゃんとやってましたが、
ある日、そこの畑の親父に、見つかり、あえなく取り壊されたりとか、
遊ぶにも、余り、お金のかからない物が、多かったです、例えば、石を投げて相手に当てる遊びとか、
そこで、『悲劇』が、起こったのです、それは、石を投げて遊んでいたとき、(ここでは、彰信にしときます)
その彰信ちゃんは、年上で、体は小さかったのですが、運動神経は良くて、
その彰信が、投げた石が、私の方に飛んで来たのて、私は、家の陰に隠れたのです。
その時『これで、大丈夫だと思ったのです』そしたら、その石がカーブして飛んで来て、私の頭に、命中したのです。?
その時、思いました、何が起こるかわからないんだと、最後まで、油断しとはいけないんだと。?
その、頭の傷は、今でもあります、そんな危険(その当時は、なんとも思わなかったけど)
今、思うと、ちょっと危なかったかな~と、反省してます、
でも、その当時のガキ仲間とは(もう、うん10年)たってますが、今でも、月に1度会います?
気持ちは、その当時のままです、呼び名も、その時のままです。
『何か、時が止まった』そんな気持ちになれる、そんな自分にとって、かけがえのない時間を、共有できる唯一無二の存在なのです、
そんな、感傷に浸っていると、あの人の、野太い声で、現実の世界『孤独部屋』に、引き戻される自称(神童)?なのでした。?
明日、いよいよ9合目『頑張るぞ』
私ごときのエベレスト単独登頂の旅も、9合目まで来ました?
良くもここまで、来れたなと思う、反面、自分の力を、過信する自分がいるんです。
吉川 栄治先生の作品『宮本 武蔵』の中で、巌流島での佐々木 小次郎との対戦に向かう。
その時の『武蔵』の気持ちなのです、小舟の中で櫓を削って木刀を作って、佐々木 小次郎の長刀に対峙したのです、
何と言う、余裕なのでしょう、こう言う精神(余裕)が、あるからこそ、日本一の剣客になったのでしょう。
それにしても、もう、何十年も前に読んだ、吉川 栄治大先生の本を、いまだに覚えている自分に、関心している。
自称(神童)なのです、
こんな分厚い本の内容も、小学校低学年でしたが、未だに内容を覚えている私は『天才』では無いかと?
そんな事は無いんです!只、謙虚さが足りないだけなんです。
『反省』
日々『反省』と、『後悔』と言う言葉を、背中に背負って生きてるのです。
ここで、9合目のルートも決まり、後は、頼みの『シェルパ』が、到着するのを、ひたすら待っているのですが、
『遅い』ちょっと遅い?のではと心配に、なってきました。が
先程の、『宮本 武蔵』ほどの、精神的余裕が無いといけないと、思い直す自称(心配症)でした。
ママ風に言うと、『来るもんは、来る』『来んもんは、来ん』ま、こんな感じでしょうか、?
とにかく、残すところ、エベレスト単独登頂の旅も、9合目と頂上を残すだけです。
良く、ここまで、来れたなと言うのが、正直な気持ちです、しかし、大事なのは、最後の締だと思います?
昔、近所のガキ仲間(年は、バラバラでした)と、遊んでいたとき、
いろんな遊びをしてました、今考えると、信じられない遊びばっかりです。
例えば、近所の畑に、穴を掘って(長さ50メートル)洞窟を、作って(その中で生活)してました。
もちろん、ろうそくの火で生活しているわけで、空気穴を開けて、ちゃんとやってましたが、
ある日、そこの畑の親父に、見つかり、あえなく取り壊されたりとか、
遊ぶにも、余り、お金のかからない物が、多かったです、例えば、石を投げて相手に当てる遊びとか、
そこで、『悲劇』が、起こったのです、それは、石を投げて遊んでいたとき、(ここでは、彰信にしときます)
その彰信ちゃんは、年上で、体は小さかったのですが、運動神経は良くて、
その彰信が、投げた石が、私の方に飛んで来たのて、私は、家の陰に隠れたのです。
その時『これで、大丈夫だと思ったのです』そしたら、その石がカーブして飛んで来て、私の頭に、命中したのです。?
その時、思いました、何が起こるかわからないんだと、最後まで、油断しとはいけないんだと。?
その、頭の傷は、今でもあります、そんな危険(その当時は、なんとも思わなかったけど)
今、思うと、ちょっと危なかったかな~と、反省してます、
でも、その当時のガキ仲間とは(もう、うん10年)たってますが、今でも、月に1度会います?
気持ちは、その当時のままです、呼び名も、その時のままです。
『何か、時が止まった』そんな気持ちになれる、そんな自分にとって、かけがえのない時間を、共有できる唯一無二の存在なのです、
そんな、感傷に浸っていると、あの人の、野太い声で、現実の世界『孤独部屋』に、引き戻される自称(神童)?なのでした。?
明日、いよいよ9合目『頑張るぞ』